

大学受験は競走です。特に偏差値のように、自分が何を知っているかということよりも、他人との比較においてどちらがより多くのことを知っているかということが問題になるような場合には、大切なのは、人の上を行くということになります。競走は決して悪いことではありません。私自身が受験生だった頃、英語などの単語を覚えるのが苦手で、覚える努力をほとんど放棄しかけていたとき、ある友達が実に沢山の単語を覚えていることを知り、「あいつにできて俺ができないはずがない」と思い立ち、その後の努力ですいぶん沢山の単語を覚えることができました。これもスポーツと同じで、長距離を走るとき、一人だとついつい手を抜いて走ってしまいますが、競走の相手がいると、自分一人で走っていたときには考えられないような速さで走ることができます。
良い個別指導の講師を知るには、次のようなことに注意を聞いてみましょう。まず、子どものころ、どうやって過ごした。受験勉強や習い事にあけくれて十分に遊んだ経験がない人は、世界観が狭く、豊かな指導ができない可能性があります。良く遊んだ者は良き教育者になれるもの。次に、趣味や特技を聞いてみましょう。趣味や特技がなくてもかまいません。今、何に興味があるのか、夢中になっているものや一所懸命になれるもの、または過去にそういったものがあったかが大切。時折、何にたいしても無感動な人がいます。それはそれでその人の個性なので良い悪いというわけではありません。しかしそういう人は指導に関しても無感動、無関心、つまり熱意を注ぐ心を持っていないということです。
国語の学習は、生まれてからこれまでの生活すべてとも言えますから、英語や数学とは異なり、誰でもそれなりの学習時間を費やし、一応最低限のレベルには達しています。そのことが、「まあ、一応しゃべれるし字も書けるから、そんなに勉強をすることはないや」という誤った考え方を生み出しているのではないでしようか。また、二つめの理由としては、英語や数学などに比べ、日常生活が大きく関わり学習法がはっきりしていないために、どうやって勉強したらよいのかがわからないからかもしれません。しかし、国語は先ほど述べたように、人間の生活と大きく関わった要素を持っています。この教科をおろそかにしては、以後の社会生活に多大な影響を及ぼします。特に小、中、高校生のうちに自覚的に国語の学習に取り組むことの大切さは、いくら強調しても強調し足りないほどです。学校の授業だけが国語の学習なのではありません。毎日の生活そのものが国語の学習であることを意識し、それを予備校の授業や大学受験の際に活かしてゆく努力をして欲しいと思います。